甲乙の限界
2008年6月2日 Magic: the Gathering コメント (2)今日の話題はGAME JAPAN7月号に掲載されている小室修プロのシャドウムーア・リミテッド考察記事より。内容はシャドウムーアのブースタードラフトにおける初手のピック(俗に言う「何取る」ですね)についてでした。パックの15枚のカードすべては覚えていませんが、考慮するに値するカードが《薄暮の大霊/Oversoul of Dusk》《残忍なレッドキャップ/Murderous Redcap》《火の力/Power of Fire》《神格の鋼/Steel of the Godhead》くらいだったと思います。みなさんなら何を取りますか?
小室プロはこの「何取る」を有名プロプレイヤー達に解答してもらい、その主張をメインに考察をしていました。ちなみに一番人気が《残忍なレッドキャップ》で、二番手は《薄暮の大霊》でした。
私は、この2枚のうちどちらをピックしても良いと思います。同時に、たぶん多くのマジックプレイヤーが私と同じ意見を持っていると思っています。「どっちでもいい。好みで選んじゃっても良いんじゃない?」とまで言う人もいるかもしれません。実際、《残忍なレッドキャップ》を選んだプレイヤーの「カードパワーが高い割に色拘束が弱くデッキに入りやすい」という主張がある一方で、《薄暮の大霊》を選んだプレイヤーは「色拘束が厳しい反面、カードパワーが一番高い」という主張もありました。
そこで、《薄暮の大霊》を取ることを選んだプレイヤーが、《残忍なレッドキャップ》を取ると主張したプレイヤーを説得して、彼の意見を変えることはできるのでしょうか(またはその逆)。例えば、先ほどの主張に対しては《薄暮の大霊》のカードパワーが色拘束の厳しさを補って余りあることを示せばよいわけですし、他の主張に対しても、それを否定できればいいわけです。しかし、これは容易なことではありません(少なくとも私はそう思います。「できる」という方がいらっしゃいましたら是非コメントをお願いします)。
大抵のマジックプレイヤーは《薄暮の大霊》も《残忍なレッドキャップ》も、ドラフトで初手に取るに値する強いカードだという共通認識を持っていると思います。上に挙げた議論が難しいと述べたのは、この共通認識よりもひとつ低い(より根底にある)レベルで議論しなければならないからです。これらの要素を数式によってモデル化するなどの手法も考えられますが、これもかなり困難でしょう。
このようなことを考えるにつけ、我々の持っているマジック的共通認識には、ある種の限界があるのではないでしょうか。もちろん、このような甲乙つけがたい状況について「どちらが優れているのかを明確にすることは難しい上に勝率への寄与は少なく、議論することにさほど意味が無い」という主張もあるかと思います。しかし、そこから逆説的に、このような選択のうち、こちらが正解だとすべてのプレイヤーに説明できるプレイヤーがもしも存在するとしたら、そのプレイヤーはそうでないプレイヤーよりも間違いなく優れている、と言えるのだと思います。
小室プロはこの「何取る」を有名プロプレイヤー達に解答してもらい、その主張をメインに考察をしていました。ちなみに一番人気が《残忍なレッドキャップ》で、二番手は《薄暮の大霊》でした。
私は、この2枚のうちどちらをピックしても良いと思います。同時に、たぶん多くのマジックプレイヤーが私と同じ意見を持っていると思っています。「どっちでもいい。好みで選んじゃっても良いんじゃない?」とまで言う人もいるかもしれません。実際、《残忍なレッドキャップ》を選んだプレイヤーの「カードパワーが高い割に色拘束が弱くデッキに入りやすい」という主張がある一方で、《薄暮の大霊》を選んだプレイヤーは「色拘束が厳しい反面、カードパワーが一番高い」という主張もありました。
そこで、《薄暮の大霊》を取ることを選んだプレイヤーが、《残忍なレッドキャップ》を取ると主張したプレイヤーを説得して、彼の意見を変えることはできるのでしょうか(またはその逆)。例えば、先ほどの主張に対しては《薄暮の大霊》のカードパワーが色拘束の厳しさを補って余りあることを示せばよいわけですし、他の主張に対しても、それを否定できればいいわけです。しかし、これは容易なことではありません(少なくとも私はそう思います。「できる」という方がいらっしゃいましたら是非コメントをお願いします)。
大抵のマジックプレイヤーは《薄暮の大霊》も《残忍なレッドキャップ》も、ドラフトで初手に取るに値する強いカードだという共通認識を持っていると思います。上に挙げた議論が難しいと述べたのは、この共通認識よりもひとつ低い(より根底にある)レベルで議論しなければならないからです。これらの要素を数式によってモデル化するなどの手法も考えられますが、これもかなり困難でしょう。
このようなことを考えるにつけ、我々の持っているマジック的共通認識には、ある種の限界があるのではないでしょうか。もちろん、このような甲乙つけがたい状況について「どちらが優れているのかを明確にすることは難しい上に勝率への寄与は少なく、議論することにさほど意味が無い」という主張もあるかと思います。しかし、そこから逆説的に、このような選択のうち、こちらが正解だとすべてのプレイヤーに説明できるプレイヤーがもしも存在するとしたら、そのプレイヤーはそうでないプレイヤーよりも間違いなく優れている、と言えるのだと思います。
コメント
読んで考えるうちに、時間が経つのを忘れてしまう。
前にたわっちを交えて3人で、パックで強いカードと色の主張について論じたと思う。
あれ以降、隣と色がかぶる可能性があってもパックで1番強いカードを取ることにしている。そして今回のように、強いカードが2枚あり甲乙つけがたい場合に色の主張を考えるようにした。
例えば、レッドキャップをピックし薄暮と神格を下家に流す。
こうすると、自分は白ではないということを主張できるかもしれない。
(禁固刑や幽体の行例など、白の強力なアンコモンもあるが・・・)
私は、ひどく初手に流されてしまうプレーヤーである。
そのため、色の主張を意識している。
「これ使われたら嫌だからカットする」とかのレベルで議論すれば簡単。